ヤマアラシと墓標
マクダウェルのメインホール
朝食からアトリエに戻る途中、木々の間からモナドノック山がのぞいている
芸術への資金提供が不要なものと見なされることもあるこの世界で、時には自分自身の価値を守ることが難しいと感じることがある。しかし、最終的に自分自身を信じる力は、今年2月にマクダウェルで出会ったような方々によって強められた:アーティストである私たちの仕事を真剣に受け止め、自らの仕事にも真摯に取り組んでいるスタッフやフェローの皆さん。マクダウェルのスタッフの皆さんには、最高の芸術創造環境を整え、維持してくださっていることに感謝したいと思う。私たちの到着や出発の準備への心配り、道路の除雪や貸し出してくれた滑り止め、完璧に整えられた私のアトリエ、そして私のために特別に手配してくださった2つのとても長いテーブル、机の上に置かれたライトテーブル、簡単に物を留められる複数の壁と画鋲の瓶、洗濯されたリネンと掃除機がけされた床、バスケットに詰められて毎日玄関先まで届けられるランチ、昼夜を問わずいつでも利用できる図書館の鍵...マクドウェルのスタッフが気を配る細かいことは数え切れないほどあり、私がお返ししたい感謝の気持ちも同じくらいある。
ニューハンプシャーアトリエ
私は、この滞在期間を「一憶ハウス・プロジェクト」を大きく進めるための集中した自分一人の時間になると期待していた。しかし、実際には、最も価値のある経験は、2月に一緒に滞在していたアーティストたちや、1907年のマクダウェル創設以来ここを訪れてきた人たちの仲間として、自分自身を見つめ、また仲間として認められたことだった。マクドウェルの各アトリエには木製の「墓標」が置かれており、アトリエを使用するすべてのアーティストは、アトリエを出るときにその上に自分の名前を刻む。私のアトリエの暖炉の上にある木製の「墓標」には、1910年にさかのぼる署名が残されていた。私は、この寛大なコミュニティに迎え入れてもらえたことに心から感謝する。そこには、画家、人形劇師、作家、彫刻家、詩人、建築家、映画監督、作曲家、振付師、キルト作家、写真家、劇作家、漫画家、パフォーマンスアーティスト、ビデオアーティスト、そして分類やジャンルを超えたあらゆるタイプのアーティストが集まっていた。彼らの創作過程を学び、その作品を見て、聞いて、読んで、対話に参加することで、自分自身が挑戦を受け、そして大いに励まされた。
「ニューハンプシャーアトリエ」の内部
では、私はどんな仕事をしたのか。 マクダウェルで過ごした3週間が実りあるものだったと、あなたがたに証明できるだろうか。
毎朝X時に起きて仕事を始めたことや、毎日X時間働いたこと、X個の手書きの日記を書いたこと、X枚のアウトラインを印刷し直し、さらにまた印刷して、X枚のクラフト紙に貼り付け直したことが、あなたには気になるだろうか。 きっと、そうではないだろう。でも、マクダウェルの人たちは、完成した作品には見えないこのプロセスの一部の価値を理解している。そして、自分の作品にとって最善のことを自由にできる環境を与えてもらったことに、私はとても感謝している。私の芸術的なアプローチは、アイデアを研ぎ澄ますことであり、それは直線的でも速いものでもない。私は、そこで執筆をするだろうという漠然とした考えを持ってマクダウェルに向かったが、念のため、必要になるかもしれないあらゆる道具や機材を持ち込んだ。紙に書き出した考えを物理的に切り貼りしながら整理していくうちに、最初は一つの大きなプロジェクトだと思っていたものが、四つに分けたほうがずっと良い形になることが明らかになった。「一憶ハウス・プロジェクト」をこのように簡潔化したことで、全体がより明確になり、そこから引き出された三つのプロジェクトも、私が取り組む準備が整うまで静かに脇に置いておけるようになった。私はこれを非常に実りある成果だと考えている。
責任と期待の世界に戻ると、まるでこの世界を一度も離れていなかったかのように感じてしまう。マクダウェルで与えられた貴重な時間を無駄にしてはいけない、というおなじみの恐れが胸に込み上げて来る。集中力を保たなければ。勢いを無駄にしてはいけない。でも、もしかしたら私は、マクダウェル滞在の最後の3晩、私のポーチの下に住み着いた子ヤマアラシから学ぶべきなのかもしれない。その子ヤマアラシは、自分の価値を守ろうとも、36時間も眠っていたことを正当化しようとも思っていない。ただ、そこにいるだけで十分なのだ。この話から何を読み取るかはあなた次第だ。ただ一つ言えるのは、私はこれからも自分に合ったやり方で、ちゃんと取り組み続けるということ。
道路と平行に続くヤマアラシの足跡。遠くに私のアトリエがある。